佐久島ライフ・レポ Vol.7

教員の家族として移住坂井 愛子さん


子育てからライフワークまで、佐久島で叶えた理想の暮らし


ご主人のお仕事の関係で、期間限定のつもりでやってきた佐久島。
でもその期間が過ぎても島暮らしを続け、子育てと仕事とライフワークに
いそしむ愛子さんの、充実の日々をご紹介します。

 

 

3年間を目安に、家族で佐久島へ

 

坂井愛子さんご一家がご主人の仕事の関係で佐久島にやってきたのは、2014年の春です。

ご主人は佐久島の学校へ僻地派遣された教員。
それまで住んでいた場所での治安や温かみの少ない都市的な雰囲気に、子育への不安を覚えたのをきっかけとして、坂井さんご夫婦は海外も含めて別の地域で生活してみたいと思うようになりました。

その中でお二人が選んだのが離島、つまりこの佐久島だったのです。

 

そもそも佐賀県の里山で育った愛子さんは、山あいではなくて「もちろん離島でしょ」と、迷わず未知の離島を選んだのだとか。
「私が主人を焚き付けたんです」と笑う愛子さん。

まさしく望んでこの島にやってきて、しかも望んでいた以上に島の居心地がよく、すっかり気に入ってしまったそうです。
僻地派遣の期間は3年間が目安ですが、あっという間にその期間が経過しました。

 

居心地よすぎて定住を決意


島に来たとき、お子さんは生後6カ月と3歳でした。この島には小さい子どもが少なく、ことに赤ちゃんの姿が見られるのは何年ぶりかのことです。
島民のみなさんには、まるで自分たちに新しい孫ができたかのようにすんなりと受け入れられました。
「子どもは地域で育ててもらっています」と愛子さんは言います。
「周囲には目をかけてくれる大人たちがいっぱい。

子どもたちは、私の言うことよりも島の人の言うことのほうを素直に聞くんですよ」

 


今お住まいの借家は畑付き。畑仕事がしてみたかったので、とても嬉しかったといいます。
さらにこの家には離れとして漁師小屋(漁具を入れていた小屋)もあり、それもライフワークのために非常に役立っているとのこと。

3年の月日が経ち、あまりにも暮らしやすいのでついに定住を決意したとき、ご主人の転勤が決まりました。

 

転勤しても島暮らし

3年間佐久島の学校に勤めた時点で、ご主人は本土(西尾市一色町)の学校へ転勤となったのですが、島からの通勤が可能だったので、それまでと同じ生活を続けることができたのはラッキーでした。問題は下のお子さんが島の保育園に通えなくなったこと。
たった一人の園児となり、保育園が存続できなくなったためです。
でもご主人の転勤先の学校に隣接する保育園に入園できたため、送迎の問題も解消。

これまたラッキー! 上のお子さんはすでに小学生なので問題ありませんでした。

 


ところがそれから2年でまたしてもご主人が転勤に。今度はもともとの勤務地だった豊田市に戻ることになったのです。
結局、ご主人は単身赴任で週末に家族で過ごす生活に。やはり保育園の送迎が問題でしたが、それも愛子さんが本土で働き口を見つけることができて解決。
「送迎にぴったりの時間だけ働けるなんて、本当に運がいいと思います」と語る愛子さん。佐久島とよほど深い縁があるんでしょうね!

 

ライフワークの陶芸ができるのも佐久島ならでは!


もう一つ、愛子さん自身にとってこの島で暮らす大きな意味があります。
それはライフワークである陶芸ができること。
高校から大学まで陶芸を学び、一時は陶芸家として活動もしていたのに、最近は家庭の事情などから中断していました。
でもこの島なら自分の家で、子育てや仕事をしながら製作ができるんです!

ここで浮上するのが、例の漁師小屋。愛子さんはここをアトリエ(窯)に改修しました。
現在、自分のペースで自由な創作活動をしています。

 


海と里の自然に恵まれたゆったりライフ、のびのび育つ子どもたち。
そして陶芸家としてマイペースで制作活動をする充実した日々。思い通りの暮らしを佐久島でゲットした愛子さん、素敵ですね!